さくらのように

適当に日々生きる

なりたい自分が分からない時は自分の弔辞をイメージするといいらしいのでやってみる

私は今32歳と言うおっさんですが自分が何をしたいか未だに分からない。多分読んでいる人は「今更考えても遅すぎ!!」と思うかもしれない。実際昔の私だったらそう思っていただろう。

 

病気をして8年目になる。ようやく歩けるようになって外にも出れるようになった。輝かしい20代を私は布団の中で過ごした。そこで思ったのは「もっと好きな事をやれば良かった」と思った事だ。

現在歩けるまで回復したがふと思う事がある。80歳ぐらいの私はまた同じように「なんで好きな事やらなかったんだろう」と悔やんでいる可能性が高いと考えたのだ。

やりたい事に年齢はない。だから目標も年齢関係無しに設定してみようとネガティブな私は決意したのだ。

 

だが実際に自分のやりたい事って分からない。幼い時の私は「人並に人生送れれば上出来」と考えてフラフラと生きてきたので目標も何も無かった。

そこで今思い出したのは昔偉そうなおっさんから教えられた事だ。その人いわく「人生はいつでもやり直せる、でも本当にやりたい事ってなんだか分からないと嘆くと思う。そんな時は自分の葬式の弔辞がなんて言われているか想像してみなさい」と言われた。

 

人間ってすっごい欲深い生物であって、周りの人から良く思われたいと言う心がどこかしらある。そこで一番の欲求は弔辞にあるらしいのだ。

ちょっと長々と説明してしまったがさっそく私が読まれてみたい弔辞を想像してみたいと思う。

 

友達「〇〇さんはいつも笑顔で皆に好かれていました。何事にも嘘をつかず真っすぐな姿勢がとても印象的でした。

仕事ではおっちょこちょいな部分や頼れない所もありましたが、趣味の学問では真面目な部分が見えてかっこいいと思いました。

バイクでは色々な旅をしてあちこちに友達が出来てとても羨ましく思いました。

ニコ生では毎回毎回楽しそうにして羨ましく思いました。

掴めないところはたくさんありますが、人の不幸を悲しみ真っすぐなあなたが好きです。

天国でも笑顔で輝いて下さい。」

 

さて私の弔辞はこんな感じが理想叶って思います。ここで大事なのは正直に読まれたいたい事を書く事です。見て分かると思いますが、私の弔辞には仕事はあまり重要視されていません。趣味や人から好かれる事が一番大事だと伝わると思います。これってちょっと恥ずかしいですけど、今の自分を知るには重要なので正直にしましょう。

 

最後に「今あなたが周りからどのような存在」か確認する方法に、実際の友達に弔辞を読んで貰いましょう。きっとあなたの知らない部分が出てくると思います。

それでは明るい未来を夢見てバイバイ

 

 

無調整豆乳を一年程飲み続けたけど特に変わりは無かった。女性化を希望してる人は他の方法を探したほうがいいと思うよ

自分の体に違和感がある自分はネットの情報で色々と食事で女性化出来ないものかと試行錯誤して色々やってみました。

今回はそれらの報告って事で書いてみようと思う。

まず豆乳を進めるサイトが多いけど、まず男性は女体化はしないって事は理解しておいたがほういい。掲示板とかではちょっと女っぽくなったとか書いてあるけど、それらは絶対にない…。

うん無いわ…。冷静に考えたら食事で体の変化があるモノが売られていたら政府が販売しないよね…。多分今読んでる人は「そんな事やってみないと分からない」って人がいると思うけど、一年前の自分と同じだと思う。

 

一日に飲んだ量としては400ミリリットルから1リットルぐらい。加えて納豆を一日2個から3個摂取して豆腐も一パック食べた。あとキャベツも一緒に食べて女性ホルモンを活性化させようとチャレンジした。

多分これらを読んでも挑戦する人はいると思うのでアドバイスとしては豆乳は一日200ミリリットルぐらいから挑戦したほうがいい。最初は下痢になって慣れないと思うので。

 

体の変化は無かったけれど精神的には落ち着いたので精神面での落ち着きを考えるのであれば豆乳は最適だと思う。

もしもそれ以上のものを求めるならばイソフラボンとかアマゾンで売ってるの飲んでみるといい。でもそれでも体の変化はないから期待してはいけないって事は忘れないように。

 

もしも体の変化を求めるならばきちんとお医者さんに相談した方がいいと思う。Amazonとかで買えるけど、なんらかの形で体に異常が出たら大変だからね。

 

あともしも体への違和感がある人は「Xジェンダー」ってのも知っておいたがほういい。男でも女でもないっていう性別があるんで、その可能性も考慮して考えて行動したほうがいいかな。

 

また何かあったら書いていこうと思います。とりあえず知っておいたほうがいいのは食事では体の変化は起こらないって事。世界でたまぁにあるけど、そんな事は稀だからね。

 

※あと髪もフサフサにはならないからね 

モコズキッチンを見てから5000円のオリーブオイルがきになるらしい祖母

私の祖母はテレビが好きで常にテレビをかけている。そして何かあると私にグチグチ文句を言ってくるのだ。

少し前だがモコズキッチンを見てからオリーブオイルについて語っていた。簡単に言うと彼が料理が上手いのは良いオリーブオイルを使っているからだと豪語するのだ。

それから祖母のオリーブオイルに対しての神格化が止まらなくなった。もこみちがオリーブオイルを使う度に「今日もたくさん入れてたんだよ」と何故か私に報告するようになってきたのだ。

 

祖母が気に入らないのはオリーブオイルの値段だという事が分かってきた。一本5000円はしているものをドボドボ使うのは祖母の中では許せぬ愚行らしい。

実際の所私はオリーブオイルを使わないので、いくらが相場が知らないが一回の料理で、もこみちさんが一本使ってしまう事を知った時は「おいおい大丈夫かよ」と確かに思った。

流石祖母の血が入ってるだけあって一本丸々使ったと聞いた時は祖母と同じように5000円にこだわってしまった。

 

だがよくよく考えたら彼も色々と考えて自分なりにたどり着いた場所がオリーブオイルだったのだろう。それに対して我々が文句を言うのは失礼である。祖母にそのような事を言ったが祖母は納得しなかった。

 

一つ気づいた事がある。もしもこれが私がテレビに出てオリーブオイルをドクドク使っているシーンが流れたらどうだろうか?2chTwitterでは多分荒れに荒れるだろう。料理が旨いだろうが私は親の仇のように叩かれるだろう。

ようは顔である。もこみちさんは顔がかっこいいからオリーブオイルを使っても楽しい話題になるだけでいいのだろう。だが一方多少の顔が整っていない方がやると暴動になる悲しい結果になるだろう。

オリーブオイル一つとっても人間は学ぶことがあるのだなと思う今日この頃である。

 

 

「あんまん」と言う暴君を私は未だに許せないでいる

さっきまで横になっていたのだが体が痛くて起きてしまった。てな事で何かしようかなって思った時に、ふと頭の中に過去の苦々しい思い出が蘇ったので書いてみようかと思う。

ただしここからは私の「あんまん」への思いが書かれているのであんまんが好きな人はブラウザバックか私のコメント欄を荒らして欲しいと思う。

 

私の主張としてはコンビニにあるあんまんの存在だ。彼らは本当にいるのだろうか?いや売られているのだから、誰かが買っているのは百も承知だが、私はどうしても納得出来ないのだ。

 

皆さんの中であんまんを好きな人はいるだろうか?私が32年間生きてきて「私あんまんが好きなの!!」って人は私の母以外に見たい事がない。

あれ今気づいたけど、私の母はあんまんが好きな人でした…。/(^o^)\ナンテコッタイ

しかしあんまんが好きな人って本当にいないと思うのが私の主張だ。

 

経験があると思うが、誰かが買ってきた「肉まんとあんまん」がごっちゃごっちゃになったのを選んで食べた事があると思う。その時に私は大抵あんまんと言う意味不明な暴君を引いてしまったのだ。

口の中で熱いアンが暴れるあの経験は二度としたくないと考えている。

 

だが途中気づいたのだが、肉まんとあんまんの区別がつくことが中学生ぐらいの時に知った。肉まんは上部がシワシワになっていて、あんまんはツルツルなのだ。これを知った時私は歓喜したのを覚えている。そして肉まんを取る確率をグンと上げたのだ。

 

私は今眠たい。だから意味不明な事を書いていると思うが、あんまんを考案した人は何故あんな甘いものを詰め込もうとしたのか監禁して尋問してみたいものだ。

 

だがなそこでホッとしてる中華まん、お前も私は存在を認めていないからな!!お前は熱々過ぎて口の中がやけどするんだよ!!

そんな皮の中に隠れていないで堂々と中華の具で勝負してこい!!と常に思うのだ。だが奴は旨いから私はこれ以上問い詰めない事にする。

 

最後に言いたい、コンビニの皆さんあんまんを辞めて「豚の角煮まん」とか置いてみたらいかがだろうか?きっとあんまんよりもいい働きをすると思う。

来年あたりこないかな豚の角煮まん…。眠たくて何を書いているか分からなくなってきたのでここで終わりにする。さらばだあんまんよ。

年に500冊本を読む謎の主張、なぜ本を読む人はアピールするんだい?

私が以前に遊んでいた人物がいる。今はもう連絡はしていない。連絡していない理由としては謎の主張と謎の方向性に走ったからだ。

彼はいつも「今日は〇〇と言う本を読んだ」「本は人を成長させる」「本を読まない人間は損をしている」と本を崇めていた。

本を読んでいる人は賢いと私も思うのだが、そこまでして何故主張するのかいつも謎だった。

結局の所彼は謎の本の主張をして周りの人間が避けるようになっていった。最終的には「お前らは人生が全く分かってない」と謎の主張をして喧嘩を吹っかけてきた。

ちょっとかわいそうだと思って話しかけると「お前の事は全部わかっている」「俺は全部知ってるんだ」と謎の知ってるアピールをしていた。

 

私はこの手の人間によく会う。と言うのも多分人の話を聞いてしまう癖が私にはあるからだ。多分彼らは寂しいのだろう。私に本の話をしてる時は生き生きとしている。

だが、このような純粋な彼らも一歩中に踏み込むと謎の投資の話をしてくる。「今シンガポールが熱いから絶対投資したほうがいい」「金で金を稼ぐのは今がチャンス」と肉食獣のようにかかってくる。

 

彼らは本から何を学んでいるのだろう?彼らの本好きから私はいつも「本とはなんぞや?」と考えるようになってきた。

彼らの周りには本があるが人がいない。いるとしても謎の投資話をいつもニヤニヤしている怪しげな輩がいるだけだ。

 

最近彼らの現在をちょっとだけ耳にした。5年以上経った今も「周りの奴らは全く分かっていない」とぼやいているそうだ。

そんな彼が手にしていつも読んでいた本が人を寄せ付ける術、とかなんとかだったと最近思い出した。

悲しい事に本は役に立っていないようだ。いつか本が役に立つ日が来てくれる日を切に願う。

一流のうんこ製造機になるにはニンジンを食ったほうがいい

病気の為に一日中家にいる事が多い私である。何も人に自慢できるものもないし、学歴も最低である。もはや生きてる価値も無く理由すらなくなってきている。

こんな私だが毎日を楽しく暮らしたいと現在は毎日ニヤニヤしながら生きる事を目標として実践している。そんな私は今うんこ製造機である事を自覚している。

 

自信をうんこ製造機と自覚するのには大変な覚悟がいる。だが実際は覚悟だけで、うんこ製造機はうんこ製造機なので他はする事はない。

叩かれようと蹴られようと嫌われようとうんこ製造機以上の働きは出来ない。これは悟りに近いかもしれない。

 

毎日体の痛みと闘っているとうんこを製造するにもなかなか苦労する。それは便秘である。私は昔から快便のほうであったが、うんこ製造機に移行する途中で初めて便秘と言う魔の症状に見舞われた。

過去に私は快便で悩んでいたことがある。それは電車でよく漏らしていたからだ。

関東に住んでいる人なら分かると思うが、トイレがついている電車は高崎線宇都宮線とこの2つの路線しかない。だから私は電車に乗る時は毎度この2つの車両を使っていた。

だが時にはこれらの路線では補正出来ない場所に駅がある場合がある。本当に腹が立つとしか言いようがない。

私は過去に何回か電車内で放出した事がある。一度放出してしまえばもう怖くないと言われるがあれば嘘である。電車に乗るたびに過去の放出事件を思い出すのだ。

 

こんな快便主義の私だが製造機になるに至って便秘を体験した。過去には便秘になっている人を持て羨ましいと感じていたが実際になってみると地獄である。腹の中で何かがそこにじっと留まり「動かざること山の如し」と豪語しているのだ。

 

そこで私は色々と試して快便とまではいかないが、開通出来るまでの策を編み出せるようになった。それはタイトルにもあるようにひたすらニンジンを食うのだ。

その姿はおそらくウサギのようであろう。だがこれで開通する事は間違いない。

 

とここまで書いていて何故私がこんなブログを書いているか急に悲しくなってきた。何故私はここまでうんこ製造機について語っていたのだろう?きっと仲間が欲しかったのだろう…。

悲しみが深くなる前にここで辞めておこうと思う。また会う日まで。

嫁いびりする人の心理って少しだけ分かる

自分はXジェンダーの人で男でもあり女でもある。体は男だから見た目はおっさんだ。だけど自分に子供が産めない事を随分長い間悩んでいた。今でもたまぁに考えてパニックになってしまうが、前ほどでもない。

 

自分自身を受け入れて少し時間が経って色々なものが見えてきた。その中の一つに「嫁いびり」というものだ。

可愛い息子の嫁をいじめる意地悪ばあさんの気持ちが少しだけ分かってしまっただの。これは分からなくてもいい事だろうけど、自分の中の悪い部分がニョキニョキと芽を出したのだ。

 

「自分が女の体で子供が産めたらな」とそんな妄想をたまに思ことがある。私の中の妄想では4人家族である。

家は葛西臨海公園の近くの集合マンションで、自分、旦那、長男、長女の構成だ。

そこでの私は主婦をしながら家で生き生きと働いている。たまには子供とも喧嘩しながらだが幸せいっぱいの家族である。

 

ふと長男が彼女を連れてくる妄想に入った時である。何故か怒りが収まらなかった。長女の場合は「ヒューヒュー!!あんた学生なんだからまだ子供はダメよ」なんて余裕が言える妄想であるが、長男の場合は怒りだけだった。

妄想の中の自分は長男の部屋の前で掃除機するふりしながらドアに耳を当てて中の様子を伺っているのだ。

それからさらに年月が過ぎた妄想で結婚の話である。その時は怒りよりも悲しみが襲ってきた。長女は「あんたもいよいよ嫁ぐのね」なんて言いながら涙を流しているのだが長男の場合は違う。

年月を過ぎる妄想の中で私はドンドン悪魔のようになっているのだ。悲しくも私は最終的には本当の悪魔よりも悪魔になっていってしまっているのだ。

 

フト我に返ると「男に産まれて良かったんだな」と改めて思った。きっと私がお姑だったらお嫁さんに意地悪するのが目に見えているからだ。

 

こんな私だけど一つ言いたい事がある。男性よ自分の嫁は守らないといけない。話は自分の両親より嫁を信じたほうがいい。

そんな私の独り言である。