さくらのように

適当に日々生きる

幸せな人生って結局自分が何者か知る事だと思う

本屋やネットを徘徊していると目に付くのが「幸せになる100の方法」「幸せって実は身近にある」とか幸せについて論述しているモノが多い。

自分も小さい時からそのような本を読んでいた。と言うのも性別的にいつもフワフワしている自分が嫌で自分の居場所を探していた。

 

「幸せとは」と哲学的に考えた事が何度もあったが結局は脳みそ事態が出来が悪いので答えが無いままダラダラと生きてしまった。

振返ると自分なりにあがいていたつもりだったが何も出来ていなかった。「あーなんか無駄な時間を過ごしたな」と思うと同時に「幸せの定義って確率していないものなんだな」とぼんやり思った。

 

友達だった人はたまに電話とか貰っていた。昔のように話すのではなくて大抵はねずみ講のようの話を持ってくる。

「これをすれば幸せになれる」「人生楽しんだもの勝ち」とかやたら進めてくる。

一度試しに投資みたいのをやってみたが案の定詐欺みたいなものだった。結局今はお金をなんとか回収して疎遠になる事で私なりに解決したと思っている。

 

幸せ=お金 これらの法則は多分あと500年ぐらいは続いていくと思う。何をするにしろお金が必要だし、お金がないと食べていけないのは現実だ。

そこで詐欺みたいな事が横行して人間は憎んだりねたんだりと色々な感情が生まれてくるんだろう。

 

2017年3月に自分の性別を改めて考えた時に急に「幸せ」と言うものがどういうものなのか自分なりに解釈が出来た。

簡単に言うと自分が何者かどうか知れる事が私にとって幸せなのだと分かった。

Xジェンダーって言う性別が存在していて自分はそれに当たる。それが分かった時に少しだけ幸せになった。

 

お金を追い求め続ける者、愛を求め続ける者、復讐だけに人生をささげる者。世の中には色々といる。結局どれが幸せなのかなんて誰も分からないし、本人だって分からないだろう。

ただ一つ言えるのは自分と言う他人が何者なのか知っておくのはちょっとした幸せに近づけるんじゃないかなと私は思う。

 

もしもあなたなりの幸せがあったら私に教えて欲しい。そして幸せをおっそ分けして欲しい。私に出来る事は無いが、幸せのたまり場としてこのブログを活用して欲しいと切に願い終わりにする。

 

「苦労は勝ってでもしろ」と言うが購入する苦労を間違えるとただの不幸になる

私は今疼痛症候群と言う病気と闘っている。簡単に言うとこの病気は全身の痛みだ、風が当たっても布が当たっても痛い。

この痛みのせいで散々な目にあった。服も着られないわ、寝れないわで大変だ。

だがこの病気って知られていなくて、他の人からは「怠けてるの?」「そんな病気無いよ」「またまた!!」と言われて理解が無かった。

普通なら悔しいと思うだろうが、それどころじゃなかった。痛くて痛くて人のお節介な戯言等聞いてられなかった。痛みで何回も失神していたので、それだけが救いだった。

 

私のこの病気の症状を知ってる人は「あらー大変ね」「苦労してるのね」とか声をかけてくれるのだが、最終的には「この苦労は報われるわよ」と漠然と私の将来の幸せを約束したかのような言葉を残し去っていく。

 

「これを乗り越えられたら幸せが待っている!!」そんな風に生活していたが、現実はそんなもんじゃない。

8年と言う病気の中で私は年を取ってただただ痛みだけを我慢しているが、周りはキャリアを持って日々人間の社会の中で前進している。

 

そう、社会の中で前進してる彼等だって社会の中で苦労しているんだ。悲しい事に私の痛み等社会にはなんにも役に立たないのだ。

ある人は「同じような体験の人に話を聞かせるような事をすれば?」と言われるがたまったもんじゃない。こんな二度としたくないような痛み、思い出したくもない。

 

きっと私は「購入する苦労」を間違えてしまったようだ。幼少の頃自動販売機でコーラを買おうとして、かっこつけてコーヒーを買ってしまったように、ちょっとした見栄でミスしてしまった感じだ。

そして今苦労の価値等無くなってきている。昔のように苦労好きの日本人はいなくなってきた。好きなのは年を取ってあの世待ちのヨボヨボ世代だけだ。

 

 

若者よ苦労等勝ってはいけない。苦労の価値等なくなってきている。日々楽しい事をして思い出を作りなはれ。

私もこれからは苦労等避けて楽しい事だけをしていきたいと思う。

苦労はしないほうがいいとは言わない。ただ間違った苦労をご購入すると人生破壊するだけになってしまう事を覚えておかないといけない。

有名ブロガーのブログを読んで自分は凡人以下だ再確認して大爆笑よ

私は自分がどんな人間なのか30歳過ぎた今でもよく分かっていない。性別的にも能力的にもだ。

最近は自分の性別があやふやなままの人間だと分かってきたが、能力ってどうなんだろうって考えていた。

小学校の時の夢は自分はお笑い芸人かサラリーマンだった。どちらかと言うとサラリーマンになりたかった。電車に乗って家に帰って家族がいて飯を食って寝て仕事に行く。こんな生活をぼんやりと想像していた。

 

小さい時から自分の能力は低いものだと考えていた。と言うのも何事にも自信が無かったからだ。だから高望みせずに人と同じぐらいが自分の最高点だと思っていた。

 

月日が流れ自分は凡人よりも能力が無い事が段々分かってきた。能力が無いって事に対して多少がっかりしたが、「これ以上頑張っても無駄であり、あえぐ必要が無いのか」と考えると安心した。

凡人と言う最高点を目指さなくてもよくなったのだ。これは私の中で一種の安堵を与え、いらぬ行動をしなくて良いと確信させてくれたのだ。

 

最近有名ブロガーのブログを読んだ。特に有名だから読んだ訳でではないが、頭のいい人はどんな事を思い浮かんで生活しているんだろか?と興味を多少持ったのだ。

ちょっと残念だったのは大体の人は投資や心持ちのような文章が多かった事だ。なんだか本屋で並んでいるベストセラーみたいな感じだったので、現実でもネットの世界でも人間が求める事が同じな事にガッカリしたのだ。.

とある人のブログでブログの書き方のセミナーに入ったほうがいいと言う記事を見た。「へぇーブログ書くのにもセミナーなんて入ったほうがいいのか…」と思ってしまった。

きっと彼らはブロガーと呼ばれる人達でブログで喰っている人達だろう。だから本気度が全然違った。

確かセミナーコース月に5000円ぐらいだったと思う。それを見た瞬間い「うわぁたけぇぇぇ」と本気で思ってしまった。

面白いのがその後で「これを高いと思っている人は一流にはなれない」とかなんとか書いてあった。

たしかになーと思いながら思って自分を恥じたが、そこで「自分ってやっぱり才能が無いんだ!!いやぁいやぁ安心した」と声を大にして笑ってしまった。

 

能力があるなしに関わらずに自分って事を知れて良かった。

身の丈にあった生活が一番いい。自分を大きく見せる必要も無くなった今が楽くでいい感じだ。

 

無理している自分から卒業

小さい時から他の人の中に入りたくて随分と無理をしていたのを覚えている。ハッキリ言うと自分は人とのコミュニケーションがあまり出来る方ではないと思う。

そんなんだから人の中にどうやったら入れるかいつも考えていた。そして相手の機嫌を損なわないように恐る恐る行動して言葉を発していた。

 

人間って支え合って生きてるって偉い人や大人って言う生物の人が言うけど、実際は結構一人の事の方が多いって最近分かり始めた。

そんな事が分かってから無理している自分と決別しようかと思った。

こんな事言うと怒られると思うけど、支え合って生きていこうが、一人で生きていこうが酸素吸って二酸化炭素はいて飯食って糞して寝ている事は変わりない。

 

あと「感謝しろ」って言葉からも私は卒業したいと思う。私は病気だから色々な人に会うたびに「感謝しなさい」と言われる。ちょっとしたことを言うと「あんたは罰当たり」「全然世の中分かっていない」とかありがたい罵声を浴びせられる。以前はすごい人の言う事を信じて「感謝」していたと思うけど今はどうでもいいと思う。

 

病気して倒れて家も家族も何も失った時に「感謝」って本当に言葉でしかない。感謝してもしなくても人生って大して変わらない。

一番感謝しないといけないのは自分自身だなって最近気づいた。こんな体に生まれて自分みたいな魂が入ってさぞかし大変だろう。自分を無視し続けて多分今こうやって布団の中で苦しんでいるんだと思う。

 

ネガティブな文章になってしまったけど、これからは無理しないで生きていきたいと思う。

人生一度限りだから一番信じないといけない自分を信じて前向いてのらりくらりやっていきたい。

さくらみたいに生きてみたいからブログ初めてみました

自分は昔から自分の性別が分からなくて生きてきた。体は男だけど違和感があって、「自分は女のかな?」って思ったり、「やっぱり男だ!!」って思ったりよく分からない人生を32年間送った。

体は男だから男の中で育って男として生きてきた。だけどそれが耐えられなくて途中途中ダウンしては父親や姉に見下されていたのを覚えている。

たくさんの人に支えられて生きてきたと思っている。「もっとしっかりしと」「男らしくなれ」「大人になれ」ありがたい言葉をたくさんぶん投げられては飲み込んで歩いてきた。

 いつも自分は不安で不安でしょうがなかった。自分が何者かよく分からなかった。中二病的と思われるかもしれないが、本当によく分からなった。

男の日もあれば女の日もある。体が納得する日もあれば納得しない日もある。恋愛対象が女性の日もあれば男性の日もある。

なんだかよく分からない自分に嫌気がさして、たくさんの知識をつけようと本を読んだり、神様を頼ってみようと神社やお寺巡りもした。

結局のところ自分は性別が安定していない状態と言う事が段々分かってきた。世に言うXジェンダーってやつみたい。

 

色々とブログを作ってきた。他にも性別の事が中心に書いている「モスログ」って言うブログがある。そっちはワードプレスで作って自分が書きたい事を真剣に書いている。

ちょっと思った事だけど、向こうのブログは堅苦しくなるって思った。真面目に書いているからしょうがないんだけど、息抜き用のブログも書きたいなって思ってはてなブログを作ってみようと思った。

 

タイトルは何にしようかすごい迷った。色々自分の個性を出せるようにしたタイトルにしたいと思ったけど、最終的に「どんな存在」になりたいか考えた。そこで毎度浮かぶのが「さくら」だった。

さくらの周りにいると人間って笑顔になる。もちろん毛虫とかいると怖いけど、それ以外ならば見ているとほんわかしてくる。自分もそんな存在になりたいかなって思ってタイトルを「さくらのように」としてみた。

 

正直に適当にブログを書いてみようと思う。真面目に生きる事を辞めて風が向くまま気の向くまま。そんな人間になりたい。