さくらのように

適当に日々生きる

年に500冊本を読む謎の主張、なぜ本を読む人はアピールするんだい?

私が以前に遊んでいた人物がいる。今はもう連絡はしていない。連絡していない理由としては謎の主張と謎の方向性に走ったからだ。

彼はいつも「今日は〇〇と言う本を読んだ」「本は人を成長させる」「本を読まない人間は損をしている」と本を崇めていた。

本を読んでいる人は賢いと私も思うのだが、そこまでして何故主張するのかいつも謎だった。

結局の所彼は謎の本の主張をして周りの人間が避けるようになっていった。最終的には「お前らは人生が全く分かってない」と謎の主張をして喧嘩を吹っかけてきた。

ちょっとかわいそうだと思って話しかけると「お前の事は全部わかっている」「俺は全部知ってるんだ」と謎の知ってるアピールをしていた。

 

私はこの手の人間によく会う。と言うのも多分人の話を聞いてしまう癖が私にはあるからだ。多分彼らは寂しいのだろう。私に本の話をしてる時は生き生きとしている。

だが、このような純粋な彼らも一歩中に踏み込むと謎の投資の話をしてくる。「今シンガポールが熱いから絶対投資したほうがいい」「金で金を稼ぐのは今がチャンス」と肉食獣のようにかかってくる。

 

彼らは本から何を学んでいるのだろう?彼らの本好きから私はいつも「本とはなんぞや?」と考えるようになってきた。

彼らの周りには本があるが人がいない。いるとしても謎の投資話をいつもニヤニヤしている怪しげな輩がいるだけだ。

 

最近彼らの現在をちょっとだけ耳にした。5年以上経った今も「周りの奴らは全く分かっていない」とぼやいているそうだ。

そんな彼が手にしていつも読んでいた本が人を寄せ付ける術、とかなんとかだったと最近思い出した。

悲しい事に本は役に立っていないようだ。いつか本が役に立つ日が来てくれる日を切に願う。